第8回賃労働と資本カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店の学習
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古典経済学は、産業の実践から、工場主は彼の労働者の労働を買い、それにたいし
て支払っているという、工場主のありきたりの考えをうけいれた。
こういう考えでも、工場主の商売用や簿記や価格計算には、十分まにあってきた。ところが、素朴に経済学にうつしいれられたとき、それは、ここでじつにおどろくべき誤謬と混乱をひきおこしたのである。
経済学はつぎの事実にいきあたる。 それは、いっさいの商品の価格は、 経済学で
労働とよばれている商品の価格をもふくめて、たえず変動するということ、これ
らの価格は、非常にさまざまな事情のためにあがりさがりしており、しかもそれらの
事情は商品そのものの生産とまったくなんの関係もないことが多いので、価格は普通
はまったくの偶然によってきめられるようにみえるということである。
そこで、経済学が科学としてあらわれるやいなや、その最初に当面した課題の一つは、外見上商品価格を支配しているようにみえるこの偶然の背後にかくれて、じつはこの偶然そのも
のを支配している法則を、さがしもとめることであった。
あるいは上へ、あるいは下(…)へと、たえず変動し動孫する商品価格の内部に、経済学は、この変動と動揺の軸となっている固定した中心点をさがしもとめた。一言で言えば、経済学は、商品価格から出発して、それを規制する法則としての商品価値をさがしもとめたのである。
つまり、いっさいの価格変動はこの商品価値から説明され、また結局はみなそれに帰着するはずであった。
そこで古典経済学は、ある商品の価値は、その商品にふくまれており、その商品の生産に必要な労働によってきめられることを、みいだした。
古典経済学はこの説明で満足した。そしてわれわれも、さしあたってはこの説明で満足することができる。ただ、誤解を避けるために、この説明は今日ではまったく不十分なものにってしまったということを、注意しておきたい。
マルクスが、はじめて、価値を形成するものとしての労働の性質を根本的に研究し、そのさい、ある商品の生産に外見上必要にみえ、あるいは実際にも必要な労働は、どれでも、いつでも、消費された労働量と一致する価値量をその商品につけくわえるとはかぎらないことを、発見した。
したがって、今日われわれが簡単に、リカード1のような経済学者にならって、ある商品の価値はその商品の生産に必要な労働によってきめられる、というにしても、そのさい、われわれはつねに。12ページ1行目
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