第11回賃労働と資本
カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店
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われわれはわが労働の価値について、さきにははてしない堂々めぐりにおちいった
のだが、今度はいよいよ解くことのできない矛盾にはまりこんでしまった。
われわれは労働の価値をさがしもとめて、自分が必要とする以上のものをみいだしたのである。
一二時間の労働の価値は、労働者にとって三マルクであるが、資本家にとってはハマ
ルクで、資本家はそのうち三マルクを賃金として労働者に支払い、三マルクを自分の
ポケットにねじ込む。
してみると、労働は一つの価値でなく二つの価値を、おまけにひどくちがう価値をもっていることになる!
貨幣に表現された価値を労働時間に還元してみると、この矛盾は、いっそうぽかげ
たものになる。
一二時間の労働によってハマルクの新しい価値がつくりだされる。
したがって六時間では三マルクとなるが、これは労働者が一二時間の労働とひきかえに
うけとる額である。
労働者は、一二時間の労働とひきかえに、ひとしい対価として、六時間の労働の生産物をうけとる。したがって、労働は二つの価値をもっていて、その一方が他方の二倍の大きさであるのか、それとも一二と六がひとしいのか、どちらかである!
どちらのばあいにも、まったくばかげたことになる。
いくらもがきまわっても、われわれが労働の売買や労働の価値を論じているあいだ
は、われわれはこの矛盾からぬけだせない。
そして、経済学者にとってもそうであった。古典経済学の最後の分枝であるリカード学派は、おもに、この矛盾が解決不可能なことにつきあたって破綻した。
古典経済学は袋小路にはいりこんでしまった。この袋小路から脱けだす路をみいだした人こそ、カール・マルクスであった。
経済学者が「労働」の生産費だと考えてきたものは、労働の生産費ではなくて、生
きた労働者そのものの生産費であった。
そして、この労働者が資本家に売ったものは、彼の労働ではなかったのである。マルクスは言っている。「彼の労働が実際にはじまるときには、この労働はもうこの労働者のものではなくなっている。したがって、もはや彼がそれを売ることはできない。」 だから、彼はせいぜい彼の将来の労働を売ることができるだけであろう。
すなわち、一定時間だけ一定の労働給付をおこなうという義務をひきうけることができるだけであろう。
だが、そうすることで、彼は労働を売るわけではなく(なぜなら、労働はこれからはじめてなされなければならないであろうから)、一定の支払いとひきかえに、一定時間だけ(時間払い賃金のばあい)または一定の労働給付をおこなうた めに(出来高払い賃金のばあい)、彼の労働力を資本家の自由にゆだねるのである。
つまり、彼は、彼の労働力を賃貸し、または売るのである。
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