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2021年11月8日月曜日

第9回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店 の学習

 第9回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店

の学習

 遡ります


無数の労働者のほうがどんなにすぐれているかしれないということをさとらせるために、説明するのである。


古典経済学は、産業の実践から、工場主は彼の労働者の労働を買い、それにたいし

て支払っているという、工場主のありきたりの考えをうけいれた。


こういう考えでも工場主の商売用や簿記や価格計算には、十分まにあってきた。ところが、素朴に経済学にうつしいれられたとき、それは、ここでじつにおどろくべき誤謬と混乱をひきおこしたのである。


経済学はつぎの事実にいきあたる。 それは、 いっさいの商品の価格は、経済学で労働とよばれている商品の価格をもふくめて、たえず変動するという こと、これらの価格は、非常にさまざまな事情のためにあがりさがりしており、しかもそれらの事情は商品そのものの生産とまったくなんの関係もないことが多いので、価格は普通はまったくの偶然によってきめられるようにみえるということである。


そこで、経済学が科学としてあらわれるやいなや、その最初に当面した課題の一つは、外見上商品価格を支配しているようにみえるこの偶然の背後にかくれて、じつはこの偶然そのも

のを支配している法則を、さがしもとめることであった。


あるいは上へ、あるいは下へと、たえず変動し動揺する商品価格の内部に、経済学は、この変動と動孫の軸となっている固定した中心点をさがしもとめた。


一言で言えば、経済学は、商品価格から出発して、それを規制する法則としての商品価値をさがしもとめたのである。つまりいっさいの価格変動はこの商品価値から説明され、また結局はみなそれに帰着するはずであった。


そこで古典経済学は、ある商品の価値は、その商品にふくまれており、その商品の

生産に必要な労働によってきめられることを、みいだした。


古典経済学はこの説明で満足した。そしてわれわれも、さしあたってはこの説明で満足することができる。ただ、誤解を避けるために、この説明は今日ではまったく不十分なものにってしまったということを、注意しておきたい。


マルクスが、はじめて、価値を形成するものとしての労働の性質を根本的に研究し、そのさい、ある商品の生産に外見上必要にみえ、あるいは実際にも必要な労働は、どれでも、いつでも、消費された労働量と一致する価値量をその商品につけくわえるとはかぎらないことを、発見した。


したがって、今日われわれが簡単に、リカードのような経済学者にならって、ある商品の価値はその商品の生産に必要な労働によってきめられる、というにしても、そのさい、われわ れはつねに、マルクスによってなされた留保を前提しているのである。


ここではこれだけ言っておけばよい。それ以上のことは、マルクスの『経済学批判』(一八五九年)と『資本論』第一巻にある。


しかし、経済学者が労働によって価値がきめられるというこの命題を、「労働」とい

う商品に適用するやいなや、彼らは、つぎつぎに矛盾におちいっていった。


「労働」の価値はどうしてきめられるか? そのうちにふくまれている必要労働によって。だが、ある労働者の一日、一週、一ヵ月、一年間の労働には、どれだけの労働がふくまれて

いるか? 一日、一週、一ヶ月、一年分の労働である。もし労働がいっさいの価値の尺度であるなら、われわれは、「労働の価値」もほかならぬ労働で表現するほかないことになる。


しかし、われわれが、一時間の労働の価値は一時間の労働にひとしいということしか知らないなら、われわれは一時間の労働の価値について絶対になにも知らないのである。だから、それだけでは、われわれは髪の毛一筋でも目標に近づいたことにならない。


われわれはぐるぐると堂々めぐりをつづけているだけである。

そこで古典経済学は、言い回しをかえてみた。彼らはこう言った。ある商品の価値はその生産費にひとしい、と。だが、労働の生産費とはなにか? 


この問いにこたえるには、経済学者は、論理をすこしばかり曲げなければならない。労働そのものの生産費は、遺憾ながらたしかめることができないから、彼らは、それのかわりに、いまや労働者の生産費とはなにか、を研究する。


そして、このほうはたしかめることができる。それは、時と事情とに応じてちがいはするが、一定の社会状態、一定の地方、一定の生産部門についてみれば、やはり一定しており、すくなくともかなりに狭い限界の内にある。


われわれは今日、資本主義的生産の支配のもとに生活しているが、ここでは住民中の大きな部分をしめ、しかもたえず増大していく一階級は、賃金とひきかえに生産手段―道具、機械、原料、生活資料―の所有者のためにはたらくときにだけ、生活することができる。


この生産様式の基礎のうえでは、労働者の生産費は彼に労働する能力をあたえ、彼の労働能力をたもち、そして老年や病気や死のために彼が去ったばあいには新しい労働者でこれを補充するために、つまり、労働者階級を必要な人数だけ繁殖させるために、平均的に必要な生活資料の総和―またはその貨幣価格―からなっている。


われわれは、この生活資料の貨幣価格が平均一日三マルクであると仮定しよう。

そこで、わが労働者は、彼をやとっている資本家から一日三マルクの賃金をうけとる。

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