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2021年12月5日日曜日

第17回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習 28 ページ

 第17回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習

28 ページ


あとでは、労働者を約束した期間はたらかせることによって、それを消費する。


資本家は、労働者の労働力を買ったのと同じ金額、たとえば二マルクで、二ボンドの砂糖

でも他のなにかの商品の一定量でも、買おうと思えば買えたのである。


彼が二ポンドの砂糖を買った二マルクは、二ポンドの砂糖の価格である。


彼が一二時間分の労働力の使用を買った二マルクは、一二時間の労働の価格である。


だから、労働力はまさしく砂糖と同じく一つの商品である。前者は時計ではかられ、後者は秤ではかられる。


労働者は、彼らの商品すなわち労働力を、資本家の商品すなわち貨幣と交換する。


しかも、この交換は一定の割合でおこなわれる。これこれの時間だけ労働力を使用す

るのに対してこれこれの貨幣額というように。


一二時間の機織りに対して二マルクというように。ところでこの二マルクだが、これは二マルクで買うことのできる他のあらゆる商品を代表してはいないであろうか? だから、労働者は、実際上、彼の商品すなわら労働力を、あらゆる種類の商品と、しかも一定の割合で交換したことになる。


資本家は、労働者に彼の一日の労働と交換に二マルク与えることによって、こ

れこれの量の肉、これこれの量の衣服、これこれの量の薪、燈火等々をあたえたので

ある。


だから、この二マルクは、労働力が他の諸商品と交換される割合を、すなわち彼の労働力の交換価値を、あらわしている。


貨幣で評価されたある商品の交換価値こそ、商品の価格とよばれるものである。


だから、賃金とは、労働力の価格――ふつう労働の価格とよばれている――にたいする、人間の血肉以外にはやどるべき場所のないこの独特の商品の価格にたいする特別の名まえにすぎないのである。


だれでもよい、一人の労働者を、たとえば一人の織物工をとってみよう。資本家は彼に織機と糸を供給する。


織物工は仕事にかかり、糸は亜麻布になる。資本家は亜麻布を自分のものにし、それをたとえば二マルクで売る。さて、織物工の賃金は、亜麻布にたいする、二0マルクにたいする、彼の労働の生産物にたいする、わけまえであろうか? けっしてそうではない。亜麻布が売られるずっとまえに、おそらくはそれが織りあげられるずっとまえに、織物工は彼の賃金をうけとりずみである。


だから、資本家はこの賃金を、亜麻布を売って得る貨幣で支払うのではなく、手持の貨幣で支払うのである。織物工がブルジョアから供給をうける織機や糸がこの織物工の生産物でないように、織物工が彼の商品すなわち労働力と交換にうけとる諸商品も、彼の生産物ではない。ブルジョアが自分の亜麻布に賞手を一人もみっけられないということ だって、ありうることだった。

それを売ってもブルジョアが賃金さえ回収できないと(29ページ末)


2021年11月30日火曜日

第16回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習

 第16回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習

26ページ


わが読者諸君は、一八四八年に階級闘争が巨大な政治的形態をとって発展するのを

みてきたのであるから、ブルジョアジーの存立と彼らの階級支配との基礎をなしており、

また労働者の奴隷状態の基礎ともなっている経済的諸関係そのものに、いまやくわしくたちいるべきときである。


われわれはつぎの三つの大きな部分にわけて叙述し よ う。

 (一) 賃労働の資本にた

にたいする関係、労働者の奴隷状態、 資本家の支配。

(二)今日の制度のもとでは、中間

市民階級といわゆる農民身分の没落が避けられないこと。

(三) 世界市場の専制的支。支配者であるイギリスがヨーロッパのいろいろの民族のブルジョア階級を商業的に隷属させ搾取していること。


われわれはできるだけ簡単に、わかりやすく述べるようにつとめ、読者は経済学のごく初歩的な概念さえもたないものと仮定してかかろう。われわれは、労働者にわかってもらいたいのである。


それに、ドイツでは、 官許の現状弁護論者から社会主義的な魔術師やみとめられない政治的天才――細分したドイツには、こういった連中は君主の数よりまだ多いのだが―にいたるまで、もっとも簡単な経済的諸関係にかんしてさえきわめてはなはだしい無知や概念の混乱がみなぎっているのである。


 そこで、まず第一の問題にとりかかろう。

賃金とはなにか? 

それはどのようにしてきめられるか?

もし労働者に、きみの賃金はいくらか?

とたずねるなら、あるものは、「私は私のブルジョアから一労働日につき一マルクもらっている」とこたえ、また他のものは、「私は二マルクもらっている」などとこたえるであろう。


彼らは、その所属する労働部門のことなるにしたがって、一定の作業をはたしたことにたいし、たとえば一ャールの亜麻布を織ったことや、一台分植字したことにたいして、彼らがそのときのブルジョアからうけとるいろいろちがった金額をあげるであろう。


彼らのあげる数字がいろいろであるにもかかわらず、つぎの一点では彼らはみな一致するであろう。それは、賃金とは、一定の労働時間、または一定の労働給付にたいして資本家が支払う貨幣額のことだ、ということである。


 だから、資本家は貨幣をもって労働者の労働を買い、労働者は貨幣とひきかえに資

本家に自分たちの労働を売るようにみえる。


しかし、これはそうみえるだけである。彼らが実際に貨幣とひきかえに資本家に売るのは、彼らの労働力である。


この労働力» を資本家は、一日、一週間、一ヵ月等々をかぎって買う。そして彼は、それを買った27ページ末



2021年11月23日火曜日

第15回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習

 第15回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習


24ページ


賃労働と資本


われわれは、今日の階級闘争や民族闘争の物質的基礎をなしている経済的諸関係を

これまで述べなかったといって、いろいろの方面から非難をうけた。


われわれは、わざと、これらの経済的関係には、それが政治的衝突のうちに直接に姿をあらわしてくるところでしか、ふれなかったのであった

これまではなによりも必要だったのは、日々の歴史のうらに階級闘争をあとづけ、

すでにありあわせる歴史的材料や、日々あらたにつくりだされる歴史的材料にもとづ(6)

いて、つぎのことを経験的に証明することであった。


それは、二月革命と三月革命をおこなった労働者階級が圧服されると同時に、彼らの敵――フランスではブルジョア共和主義者、ヨーロッパ大陸全体では封建的絶対主義とたたかっているブルジョア階級と農民階級――も敗北したのだということ、


フランスで「律儀な共和制」が勝利したことは、同時に、英雄的な独立戦争をもって二月革命にこたえた諸民族の没落であったということ、最後に、革命的労働者の敗北とともに、ヨーロッパはその古い二重の奴隷制に、すなわちイギリス的="シア的な奴隷制に逆もどりしたということである。


パリの六月闘争、ウィーンの陥落、一八四八年一一月のベルリンの悲喜劇、ポー

ランド、イタリア、ハンガリアの必死の奮闘、アイルランドの飢饉のための屈服―


―これらが、ヨーロッパにおけるブルジョアジーと労働者階級の階級闘争を総括する主

要な諸契機であって、われわれはこれらにもとづいて、つぎのことを証明した。


それは、どんな革命的反乱も、たとえその目標がどんなに階級闘争からかけはなれている

ようにみえようとも、革命的労働者階級が勝利するまでは、失敗するほかないという

こと、


どんな社会改良も、プロレタリア革命と封建的反革命とが一つの世界戦争で勝

敗を決するまでは、ユートピアにとどまるということである。


われわれの叙述では、現実においてもそうであるが、ベルギーとスイスとは、一つはブルジョア的君主制の模範国として、もう一つはブルジョア的共和制の模範国として、大歴史画中の悲喜劇的な漫画的風俗画であった。


どちらの国も、自分は階級闘争にもョーゼッパ革命にも右同じようにかかわりがない、と想像しているのである。


2021年11月21日日曜日

第14回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習

 第14回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習

 今回で序文は終わります。次回から『賃労働と資本』本文になります。


22ページ



必地主階級とわければよいのであるが、われわれがたったいまみたように、この部分は、

新しい発明や発見がなされるたびに大きくなっていくのに、労働者階級のわりまえと

なる部分は、(頭わりで計算すると)ごくゆっくりと、わずかばかり増加するだけであ

るか、あるいは全然増加せず、ばあいによっては減少さえしかねないのである。


だが、ますます急速につぎつぎにとってかわっていくこれらの発明や発見、前代未

聞の程度で日々にたかまっていく人間労働のこの生産性は、ついには一つの衝突をう

み、この衝突のなかで、今日の資本主義経済は没落せざるをえなくなる。


一方には、はかりしれない富と、購買者につかいこなせないありあまった生産物がある。


他方では、社会の膨大な大衆はプロレタリア化され、貸金労働者にかえられ、まさにその結

果として、 このありあまった生産物を手にいれる力をうしなっている。


 少数の、 法外に富んだ階級と、多数の、無産の賃金労働者の階級とへ社会が分裂した結果、 この社会はそれ自身のありあまった富のなかで窒息しているのに、この社会の大多数の成員は、ほとんどあるいはまったく保護されずに極度の欠乏におちいるままにまかさ

れている。


この状態は日ましにいよいよ不合理に、そして不必要になる。


この状態はとりのぞかなければならないし、またとりのぞくことができる。一つの新しい社会制(中)度が可能である。


それは、今日の階級差別が消えうせており、――おそらく、いくらか不足がちな、だがいずれにせよ道徳的にはなはだ有益な、短い過渡期を経てすでに存在している巨大な生産力を計画的に利用しさらに発展させることによって、すべての社会成員が、平等の労働義務を負いながら、生活のため、生活享楽のため、いっさいの肉体的・精神的能力を発達させ発揮するための手段をも、平等に、ますますゆたかに利用できる、そういう社会制度である。


そして、労働者がこういう新しい社会制度をたたかいとる決意をますますかためていることは、大洋の両側で、明五月一(5)日と五月三日の日曜日とが証明するであろう。

ロンドン 一八九一年四月三〇日


フリードリヒ・エンゲルス

賃労働と資本

一八九一年ベルリン発行のマルクスの著

作『賃労働と資本』単行版のために執筆

一八九一年版のテキストによる


2021年11月17日水曜日

第13回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習 20ページ

 


第13回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習



20ページ


 二マルク半で売られるとする。そうすると、ほかの条件がまえとおりだとすれば、資

本家は労働者に一個あたり二五べニヒをあたえるであろう。


すなわち、一二個では三マルクになり、労働者はそれをかせぐのに一二時間を要する。資本家は一二個に対して三〇マルクうけとる。原料と磨損分とのための四マルクをさしひくと六マルクのこるが、そのうちから彼は三マルクの賃金を支払い、三マルクをポケットにいれる。


まえとまったく同じである。このばあいにも労働者は、六時間は自分のために、すな

わら彼の賃金をうめあわせるために(一二時間の各一時問に半時間ずつ)はたらき、

六時間は資本家のためにはたらく。


「労働」の価値から出発したかぎり最良の経済学者をさえ挫折させた困難は、われ

われが「労働」の価値の代りに「労働力」の価値から出発するやいなや消えてなくなる。


労働力は、われわれの今日の資本主義社会では商品であり、商品だという点ではほか

のどの商品ともかわりはないが、しかし、まったく特殊な商品である。


すなわち、それは、価値を創造する力であるという、価値の源泉、しかも適当にとりあつかえばそれ自身のもっている価値より大きな価値の源泉になるという、特別の性質をもってい

る。


今日の生産の水準のもとでは、人間の労働力は、一日のうちに、それ自身でもっており、それ自身についやされる価値より大きな価値を生産するだけではない。


新しい科学的発見のなされるたびに、新しい技術的発明がなされるたびに、労働力の一日

の費用に対する労働力の一日の生産物のこの超過分はふえていき、


したがって労働日のうち、労働者が彼の日給のうめあわせをはたらきだす部分がみじかくなり、したがって、他面では、労働日のうち、彼が代価の支払いをうけないで自分の労働を資本家に贈呈しなければならない部分が長くなる。


そして、労働者階級だけがいっさいの価値を生産するということ、これが、今日の

われわれの全社会の経済制度である。


というのは、価値とは、労働ということをべっのことばでいいあらわしたものにすぎず、今日のわれわれの資本主義社会で、一定の商品のうちにふくまれている社会的必要労働の分量をさすのにもちいられる表現にすぎないからである。


しかし、労働者が生産したこれらの価値は、労働者のものではない。それらは、原料や機械や道具を所有し、かつ労働者階級の労働力を買う可能性をその所有者に与える前払い手段を所有する人のものである。


だから、労働者階級は、自分の作りだした生產物の全量のうち、一部分を自分の分として返してもらう だけである。そして、残りの部分は資本家階級が自分の分としてとり、せいぜいなお地主階級と分ければ良いのであるが、22ページ1行目


第12回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳  国民文庫=大月書店 の学習 18ページ

 第12回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳

 国民文庫=大月書店 の学習



18ページ

しかし、この労働力は彼の身体と合生しており、この身体からひきはなすことはできない。

したがって、労働力の生産費は労働者の生産費と一致する。経済学者が労働の生産費と名づけたものは、ほかならぬ労働者の生産費のことであり、したがって労働力の生産費のことである。


こうして、われわれはまた、労働力の生産費から労働力の価値にもどり、そして、マルクスが労働力の売買にかんする節でやったように(『資本論』、第一巻第四章第三節)[国民文庫版、第二分冊、四二五八ページ、一定の質の労働力の生産に必要な社会的必要労働の分量をきめることができるのである。


 さて、労働者が資本家に彼の労働力を売ったあとで、すなわち、あらかじめ約定された賃金――時間払い賃金または出来高払い賃金――とひきかえに彼の労働力を資本家の自由にゆだねたあとで、なにがおこるか?


 資本家は労働者を自分の作業場または工場へつれていくが、そこにはすでに作業に必要ないっさいのもの、原料や、補助材料(石炭、染料等)や、道具や、機械が存在している。


 ここで労働者は汗水ながしてはたらきはじめる。彼の日給は、まえどおりに、三マルクだとしよう。――このばあい、彼がそれを時間払い賃金の形でかせぐか出来高払い賃金の形でかせぐかは、どうでもよいことである。


このばあいにもまた、労働者は一二時間のあいだに彼の労働によってハマルクの新しい価値を消耗された原料につけくわえるものと、仮定しよう。


この新しい価値を資本家は完成品の販売に際して実現する。


資本家は、このうちから労働者にその取分の三マルクを支払うが、残りの三マルクは自分でとる。ところで、労働者が一二時間で六マルクの価値をつくりだすとすれば、六時間では三マルクの価値をつくりだす。


だから彼は、資本家のために六時間はたらいたなら、貸金としてうけとった三マルクの対価はすでに資本家につくなったわけである。


六時間はたらいたあとでは、両方とも勘定ずみで、どちらも相手がたに一文の借りもない。


「ちょっとまってくれ!」と今度は資本家がさけぶ。「おれは労働者をまる一日、

一二時間だけやとったのだ。


ところが、六時間では半日にしかならない。だから、もう六時間おわるまでつづいてせっせとはたらくのだ。――そうしてはじめておれたちは勘定ずみになるのだ!」そして実際、労働者は、彼が「自由意志で」むすんだ契約、六労働時間を要する労働生産物とひきかえにまる一二時間はたらく義務を彼に負わせている契約に、したがわなければならないのである。


出来高払い賃金でも、まったく同じことである。わが労働者は一二時間に一二個の 商品をつくるものと仮定しよう。そのおのおのが原料と磨損分とで二マルクかかり、2マルク半で売られるとする。20ページ1行目


2021年11月14日日曜日

第11回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店 16ページ1行目

 第11回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店

16ページ1行目



われわれはわが労働の価値について、さきにははてしない堂々めぐりにおちいった

のだが、今度はいよいよ解くことのできない矛盾にはまりこんでしまった。


われわれは労働の価値をさがしもとめて、自分が必要とする以上のものをみいだしたのである。


一二時間の労働の価値は、労働者にとって三マルクであるが、資本家にとってはハマ

ルクで、資本家はそのうち三マルクを賃金として労働者に支払い、三マルクを自分の

ポケットにねじ込む。


してみると、労働は一つの価値でなく二つの価値を、おまけにひどくちがう価値をもっていることになる!


貨幣に表現された価値を労働時間に還元してみると、この矛盾は、いっそうぽかげ

たものになる。


一二時間の労働によってハマルクの新しい価値がつくりだされる。


したがって六時間では三マルクとなるが、これは労働者が一二時間の労働とひきかえに

うけとる額である。


労働者は、一二時間の労働とひきかえに、ひとしい対価として、六時間の労働の生産物をうけとる。したがって、労働は二つの価値をもっていて、その一方が他方の二倍の大きさであるのか、それとも一二と六がひとしいのか、どちらかである! 


どちらのばあいにも、まったくばかげたことになる。


いくらもがきまわっても、われわれが労働の売買や労働の価値を論じているあいだ

は、われわれはこの矛盾からぬけだせない。


そして、経済学者にとってもそうであった。古典経済学の最後の分枝であるリカード学派は、おもに、この矛盾が解決不可能なことにつきあたって破綻した。


古典経済学は袋小路にはいりこんでしまった。この袋小路から脱けだす路をみいだした人こそ、カール・マルクスであった。


経済学者が「労働」の生産費だと考えてきたものは、労働の生産費ではなくて、生

きた労働者そのものの生産費であった。


そして、この労働者が資本家に売ったものは、彼の労働ではなかったのである。マルクスは言っている。「彼の労働が実際にはじまるときには、この労働はもうこの労働者のものではなくなっている。したがって、もはや彼がそれを売ることはできない。」 だから、彼はせいぜい彼の将来の労働を売ることができるだけであろう。


すなわち、一定時間だけ一定の労働給付をおこなうという義務をひきうけることができるだけであろう。


だが、そうすることで、彼は労働を売るわけではなく(なぜなら、労働はこれからはじめてなされなければならないであろうから)、一定の支払いとひきかえに、一定時間だけ(時間払い賃金のばあい)または一定の労働給付をおこなうた めに(出来高払い賃金のばあい)、彼の労働力を資本家の自由にゆだねるのである。


つまり、彼は、彼の労働力を賃貸し、または売るのである。


2021年11月11日木曜日

第10回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店

 第10回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店

14ページ1行目

資本家は、そのかわりに、彼を日にたとえば一二時間はたらかせる。そのさいこの資本家は、ほぼつぎのように計算する。


わが労働者――機械エーがある機械の部品をつくるものとし、それを一日でしあげるものと仮定しよう。


原料ー必要な半加工形態にある鉄と真鍮―に二Oマルクかかる。蒸気機関による石炭の消費、この蒸気機関そのものとわが労働者がその作業にあたって使用する旋盤その他の道具との磨損分は、日割にして彼個人に割りふって計算すれば、一マルクの価値をあらわす。


一日分の賃金は、われわれの仮定によれば、三マルクである。これらを合計すれば、この機械部品に対して二四マルクとなる。


しかし、資本家は、その部品にたいして平均二七マルクの価格、したがって彼の支出した費用より三マルクだけ多い価格を彼の顧客からうけとるように、計算をたてるのである。


資本家がポケットにいれるこの三マルクはどこからでてくるのか? 古典経済学の主張によれば、商品は平均すればその価値で、すなわち、これらの商品にふくまれている必要労働量に一致する価格で、売られる。


してみれば、この機械部品の平均価格――二七マルクーは、それの価値に、すなわち、それにふくまれている労働に、ひとしいことになろう。


しかし、この二七マルクのうち二一マルクは、わが機械工がその労働をはじめるまえにすでに存在していた価値であった。二0マルクは原料にふくまれていたし、一マルクは作業中にたかれた石炭や、作業にあたって使用されてこの価値額だけその性能のへった機械や道具に、ふくまれていた。


あと六マルクのこるが、これが原料の価値につけくわえられたものである。しかし、この六マルクは、わが経済学者自身の仮定によれば、わが労働者が原料につけくわえた労働からしか生ずることができない。


したがって、彼の一二時間の労働は六マルクの新しい価値をつくりだしたのである。してみると、彼の一二時間の労働の価値はハマルクにひとしいことになろう。これでわれわれはついに、「労働の価値」とはなにかを発見したことになろう。


「ちょっとまってくれ!」とわが機械工はさけぶ。「六マルクだって? だが、おれは三マルクしかうけとっていない! おれの資本家は、おれの一二時間の労働の価値は、三マルクにすぎないと、神かけて断言している。そしておれが六マルク要求しようものなら、彼はおれをわらいとばしてしまう。これはどうつじつまをあわせたらよいのか?」

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2021年11月8日月曜日

第9回賃労働と資本  カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店 の学習

 第9回賃労働と資本

 カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店

の学習

 遡ります


無数の労働者のほうがどんなにすぐれているかしれないということをさとらせるために、説明するのである。


古典経済学は、産業の実践から、工場主は彼の労働者の労働を買い、それにたいし

て支払っているという、工場主のありきたりの考えをうけいれた。


こういう考えでも工場主の商売用や簿記や価格計算には、十分まにあってきた。ところが、素朴に経済学にうつしいれられたとき、それは、ここでじつにおどろくべき誤謬と混乱をひきおこしたのである。


経済学はつぎの事実にいきあたる。 それは、 いっさいの商品の価格は、経済学で労働とよばれている商品の価格をもふくめて、たえず変動するという こと、これらの価格は、非常にさまざまな事情のためにあがりさがりしており、しかもそれらの事情は商品そのものの生産とまったくなんの関係もないことが多いので、価格は普通はまったくの偶然によってきめられるようにみえるということである。


そこで、経済学が科学としてあらわれるやいなや、その最初に当面した課題の一つは、外見上商品価格を支配しているようにみえるこの偶然の背後にかくれて、じつはこの偶然そのも

のを支配している法則を、さがしもとめることであった。


あるいは上へ、あるいは下へと、たえず変動し動揺する商品価格の内部に、経済学は、この変動と動孫の軸となっている固定した中心点をさがしもとめた。


一言で言えば、経済学は、商品価格から出発して、それを規制する法則としての商品価値をさがしもとめたのである。つまりいっさいの価格変動はこの商品価値から説明され、また結局はみなそれに帰着するはずであった。


そこで古典経済学は、ある商品の価値は、その商品にふくまれており、その商品の

生産に必要な労働によってきめられることを、みいだした。


古典経済学はこの説明で満足した。そしてわれわれも、さしあたってはこの説明で満足することができる。ただ、誤解を避けるために、この説明は今日ではまったく不十分なものにってしまったということを、注意しておきたい。


マルクスが、はじめて、価値を形成するものとしての労働の性質を根本的に研究し、そのさい、ある商品の生産に外見上必要にみえ、あるいは実際にも必要な労働は、どれでも、いつでも、消費された労働量と一致する価値量をその商品につけくわえるとはかぎらないことを、発見した。


したがって、今日われわれが簡単に、リカードのような経済学者にならって、ある商品の価値はその商品の生産に必要な労働によってきめられる、というにしても、そのさい、われわ れはつねに、マルクスによってなされた留保を前提しているのである。


ここではこれだけ言っておけばよい。それ以上のことは、マルクスの『経済学批判』(一八五九年)と『資本論』第一巻にある。


しかし、経済学者が労働によって価値がきめられるというこの命題を、「労働」とい

う商品に適用するやいなや、彼らは、つぎつぎに矛盾におちいっていった。


「労働」の価値はどうしてきめられるか? そのうちにふくまれている必要労働によって。だが、ある労働者の一日、一週、一ヵ月、一年間の労働には、どれだけの労働がふくまれて

いるか? 一日、一週、一ヶ月、一年分の労働である。もし労働がいっさいの価値の尺度であるなら、われわれは、「労働の価値」もほかならぬ労働で表現するほかないことになる。


しかし、われわれが、一時間の労働の価値は一時間の労働にひとしいということしか知らないなら、われわれは一時間の労働の価値について絶対になにも知らないのである。だから、それだけでは、われわれは髪の毛一筋でも目標に近づいたことにならない。


われわれはぐるぐると堂々めぐりをつづけているだけである。

そこで古典経済学は、言い回しをかえてみた。彼らはこう言った。ある商品の価値はその生産費にひとしい、と。だが、労働の生産費とはなにか? 


この問いにこたえるには、経済学者は、論理をすこしばかり曲げなければならない。労働そのものの生産費は、遺憾ながらたしかめることができないから、彼らは、それのかわりに、いまや労働者の生産費とはなにか、を研究する。


そして、このほうはたしかめることができる。それは、時と事情とに応じてちがいはするが、一定の社会状態、一定の地方、一定の生産部門についてみれば、やはり一定しており、すくなくともかなりに狭い限界の内にある。


われわれは今日、資本主義的生産の支配のもとに生活しているが、ここでは住民中の大きな部分をしめ、しかもたえず増大していく一階級は、賃金とひきかえに生産手段―道具、機械、原料、生活資料―の所有者のためにはたらくときにだけ、生活することができる。


この生産様式の基礎のうえでは、労働者の生産費は彼に労働する能力をあたえ、彼の労働能力をたもち、そして老年や病気や死のために彼が去ったばあいには新しい労働者でこれを補充するために、つまり、労働者階級を必要な人数だけ繁殖させるために、平均的に必要な生活資料の総和―またはその貨幣価格―からなっている。


われわれは、この生活資料の貨幣価格が平均一日三マルクであると仮定しよう。

そこで、わが労働者は、彼をやとっている資本家から一日三マルクの賃金をうけとる。

14ページ1行目


2021年11月7日日曜日

第8回賃労働と資本カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店の学習 10ページ3行目から12ページ末1行目まで

 第8回賃労働と資本カール・マルクス 村田陽一訳 国民文庫=大月書店の学習

10ページ3行目から12ページ末1行目まで

  

古典経済学は、産業の実践から、工場主は彼の労働者の労働を買い、それにたいし

て支払っているという、工場主のありきたりの考えをうけいれた。


こういう考えでも、工場主の商売用や簿記や価格計算には、十分まにあってきた。ところが、素朴に経済学にうつしいれられたとき、それは、ここでじつにおどろくべき誤謬と混乱をひきおこしたのである。


経済学はつぎの事実にいきあたる。 それは、いっさいの商品の価格は、 経済学で

労働とよばれている商品の価格をもふくめて、たえず変動するということ、これ

らの価格は、非常にさまざまな事情のためにあがりさがりしており、しかもそれらの

事情は商品そのものの生産とまったくなんの関係もないことが多いので、価格は普通

はまったくの偶然によってきめられるようにみえるということである。


そこで、経済学が科学としてあらわれるやいなや、その最初に当面した課題の一つは、外見上商品価格を支配しているようにみえるこの偶然の背後にかくれて、じつはこの偶然そのも

のを支配している法則を、さがしもとめることであった。


あるいは上へ、あるいは下(…)へと、たえず変動し動孫する商品価格の内部に、経済学は、この変動と動揺の軸となっている固定した中心点をさがしもとめた。一言で言えば、経済学は、商品価格から出発して、それを規制する法則としての商品価値をさがしもとめたのである。


つまり、いっさいの価格変動はこの商品価値から説明され、また結局はみなそれに帰着するはずであった。


そこで古典経済学は、ある商品の価値は、その商品にふくまれており、その商品の生産に必要な労働によってきめられることを、みいだした。


古典経済学はこの説明で満足した。そしてわれわれも、さしあたってはこの説明で満足することができる。ただ、誤解を避けるために、この説明は今日ではまったく不十分なものにってしまったということを、注意しておきたい。


マルクスが、はじめて、価値を形成するものとしての労働の性質を根本的に研究し、そのさい、ある商品の生産に外見上必要にみえ、あるいは実際にも必要な労働は、どれでも、いつでも、消費された労働量と一致する価値量をその商品につけくわえるとはかぎらないことを、発見した。


したがって、今日われわれが簡単に、リカード1のような経済学者にならって、ある商品の価値はその商品の生産に必要な労働によってきめられる、というにしても、そのさい、われわれはつねに。12ページ1行目


2021年11月5日金曜日

第7回賃労働と資本カール・マルクス著 村田陽一訳 国民文庫=大月書店の学習

第7回賃労働と資本カール・マルクス著 村田陽一訳 国民文庫=大月書店の学習 解説から、エンゲルスの序文の学習となります。ほとんどを引用しています。文書が連続しているところは編集して、改行を入れました。

 賃労働と資本 7ページから10ページ2行目まで

エンゲルスの序論

つぎの労作は、『新ライン新聞』の一八四九年四月五日号以降につづきもの の論文

としてのったものである。そのもとになったのは、マルクスが一八四七年にブリュッ

セルのドイツ人労働者協会でおこなった講義である。


それは、印刷物のうえでは未完成のままになっている。第二六九号のおわりにある「つづく」は、そのころたてつづけにおこったいろいろの事件、ロシア軍のハンガリア侵入や、この新聞自身が禁止される(一八四九年五月一九日)動機になったドレスデン、イゼルローン、エルベーフェルト、ファルツ、バーデンの蜂起の結果として、実行されずにおわった。


このつづきの原稿は、マルクスの遺稿のうちにもみつからなかった。

『賃労働と資本』は、パンフ レット型の単行本としていくつもの版がでている。い

ちばん最近のものは、一八八四年、ホッティン ゲ ン = チューリヒ刊のスイス協同組合

印刷所版である。


これらの従来の版本は、正確に原本の用語どおりであった。しかし、

今回の新版は、宣伝用パンフレットとして一万部以上も配布される予定となっている。


そこで私には、こういう事情のもとではマルクス自身、原文どおりそのまま重版する

ことに賛成するかどうか、という疑問がおこらざるをえなかった。


四〇年代には、マルクスはまだその経済学の批判をおえていなかった。これは、五

0年代の末にやっとおわったのである。


だから、『経済学批判』の第一分冊(一八五九

年)よりまえにでた彼の著作は、個々の点では、一八五九年よりのちに書かれた著作

とちがっていて、のちの著作の立場からみれば妥当でなかったり、まちがってさえい

ると思われる表現や、章句そのものをふくんでいる。


ところで、一般読者を目あてとした普通の版では、著者の精神的発展のうちにふくまれているこういう初期の立場もさしつかえなく、著者にも読者にも、これらの旧著をそのまま重刷させるあらそう余地のない権利があるということは、自明のことである。


そして私は、そのうちの一語でわかえようとは、夢にも思わなかったであろう。


新版がほとんど労働者のあいだの宣伝だけを目的としているばあいには、話はべつ

である。そのばあいにはマルクスは、無条件に、一八四九年のころの古い叙述を彼の

新しい立場と調和させたであろう。


そして私は、今回の新版のために、あらゆる本質的な点でこの目的を達するのに必要な少数の変更や追加をおこなうことは、マルクスの精神に従って行動するものだと、確信している。


そこで、私は読者にあらかじめお断りしておく。これは、マルクスが一八四九年に書いたままのパンフレットではなくて、ほぼ彼が一八九一年にはこう書いたろうと思われるパンフレットである。


それに、ほんとうの原文は非常な大部数で流布しているので、私がそれを将来だす全

集にふたたびもとのまま再録できるようになるまでは、それで十分である。


私がくわえた変更は、みな一つの点をめぐっている。原本では、労働者は賃金とひ

きかえに資本家に彼の労働を売ることになっているが、このテキストでは彼の労働力

を売ることになっている。


そして、この変更について私は説明をする義務を負っている。つまり、労働者にたいしては、これはたんなる字句拘泥ではなく、むしろ経済学全体のうちでもっとも重要な点なのだということをわからせるために説明し、またブルジョアにたいしては、無教養の労働者にはどんなにむずかしい経済学上の叙述でもたやすくわからせることができるのだから、一生涯かかってもこういうこみいった問 題を解くことのできない、高慢ちきな「教養ある人々」より、無教養の労働者のほうがどんなにすぐれているかということをさとらせるために、説明するのである。10ページ2行目まで




2021年11月2日火曜日

第6回「賃労働と資本」の学習 カールマルクス著 村田陽一訳  国民文庫 大月書店 解説 84ページから86ページまで

 第6回「賃労働と資本」の学習 カールマルクス著 村田陽一訳  国民文庫 大月書店 


解説 84ページから86ページまで





価値の源泉を平易に説いたものである。本節ではさらに、四四ー六ページに、生産力と生産関係についての古典的な説明があり、また最後の五一―二ページでは、資本家と労働者との利害の同一という、御用学者の俗論が批判されている。


「資本家あっての労働者」、「会社あっての組合」というこうした俗論は、いまでもわれわれのまわりに流布されていることに注意したい。


第四節では、すすんで資本家と労働者との利害がまっこうから対立することを論証している。

これは前節の剰余価値法則から出てくるもっとも重要な結論である。


ここでマルクスは、名目賃金と実質賃金の区別をあきらかにし、さらに資本主義が発展するにつれて労働者階級の資本家階級にたいする相対的地位がしだいに悪化することをしめしている。


これは、いわゆる労働者階級の相対的貧困化の法則である。五三ページにある小さい家と邸宅の例も、よく引用される部分である。


第五節では、資本主義の発展、すなわち資本の蓄積が賃金水準におよぼす作用を分析している。


すでに前節で、資本蓄積の増大は労働者にとっては相対賃金の低下(相対的貧困化)と資本の支配の増大であることがあきらかにされた。ここではさらにその説明が発展させられる。


すなわち、資本蓄積が増大すれば、分業と機械の使用がひろがり、それがまた労働者のあいだの競争をはげしくして、彼らの賃金をますます切りさげ、また他方、大量の労働者から職をうばって産業予備軍(失業者群)をつくりだす反面、婦人や子どもを家庭から工場にひきずりだす。


さらに血で血をあらう資本間の競争は、たえず弱小の企業家たちを没落させて、労働者軍を拡大し、こうして社会全体を少数の大資本家と多数のプロレタリアートに二分してゆく。


以上が、マルクスのしめす賃金運動の法則、労働者階級の絶対的貧困化の法則、資本主義下の労働者階級の運命である。


ますます頻繁に、ますますはげしくなる恐慌はこの過程をはやめ、破局を近づける。『資本論』第一巻第三篇第八章、第四篇、さらにとくに第七篇第二三章の「資本主義的蓄積の一般法則」は、以上の点をくわしく述べたものといってよい。


「貨労働と資本』は、ここでおわっている。この本のはじめのところ(二六ページ)では、マ

ルクスは三つの項目をあげてこの本のプランとしているが、実際に書かれたのは、そのうち第一の項目だけで、第二、第三は書かれずにおわった。


この事情はエンゲルスの序文の冒頭にくわしい。マルクスが第二、第三でなにを書くつもりであったかは、いろいろな推測はできるけれども、はっきりしない。


ただ、このように『賃労働と資本』ははじめのプランからすれば未完におわってはいるが、しかし現在のままの形でも、経済学のもっとも基本的な原理は十分に説明されており、これだけで独立のパンフレットとしてまとまっていると言ってよい。


『賃労働と資本』を読んだ人は、それをさらに発展させる意味で、できるだけすすんでつぎの諸文献を併読していただきたい。 (1) マルクス = エンゲルス『共産党宣言』、(二) マルクス『賃金、価格、利潤』(三) エンゲルス『空想から科学へ』、(四) エンゲルス『資本論綱要』。

さらに進んだ読者は(五)マルクス「経済学批判(以上はすべて本文庫に入っている)。

(六)須藤明科学院経済研究所「経済学批判」(新日本出版社)第2版を読まれるとよく。もっと進んでは(七)マルクス資本論(国民文庫)お取り組んで欲しいと思う。

1956年4月国民文庫編集委員会


解説はここまでとなります。 


2021年10月24日日曜日

賃労働と資本の学習 2,021年10月24日  賃労働と資本 カール・マルクス 国民文庫

 


第5回 賃労働と資本 カール・マルクス 国民文庫

p82から

エンゲルスの修正以前の『賃労働と資本』でも、事実上はこの区別がはっきりしており、それにもとづいて賃金や剰余価値の説明がおこなわれている。しかしこの点がほんとうに理論的にはっきりするのは、『資本論』第一巻(一八六七年発行)である。


『賃労働と資本』を書いた当時のマルクスは、まだマルクス主義経済学を完成していなかった。したがってエンゲルスは、後年のマルクスの正確な概念規定にもとづいて、『賃労働と資本』の用語や表現をいっそう科学的な形になおしたのである。


以上のごとについては、この本のはじめのエンゲルスの序文で、くわしく、しかも平易に説明されている。本文でも一節から三節にかけて説かれているが、読者がまずこの序文をよく読んでおかれることを希望する。


そして、「労働力」と「労働」の区別が、たんなることばの問題でなく、深刻な階級的意味をもっていることを、しっかりつかんでいただきたい。


さらにすすんだ読者は、『賃金、価格、利潤』の第七―一〇節、『ソ同盟・経済学教科書』 第七章「資本と剰余価値。資本主義の基本的経済法則」、『資本論』第一巻第二篇第四章第三節「労働力の購買と販売」、

同第三篇第五章「労働過程と価値増殖過程」などを研究されるといいと思う。


つぎに本文の主な内容にふれておこう。


第一節では、賃金とはなにか、が論じられ、それが資本家が買いとる労働力という商品の価格であることがあきらかにされる。


そのほか、三二一三ページにかけて、奴隷と農奴と賃労働者とのちがいをしめし、賃労働の歴史性を説いた有名な一節がある。


また、三〇一二ページには、賃労働者が人間らしい生活をうばわれているありさまが説明されている。マルクス経済学の根底にながれている激しいヒューマニズムの精神に注目すべきであろう。


第二節では、まず商品生産の経済法則である価値法則と、この価値法則が競争と生産の無政府性をとおして実現される様子が簡潔に説明される。


『資本論』で言えば、第一巻第一篇第一章第一、二節で説かれている労働価値論の部分にあたる。これによって一般に商品の価値と価格がなにによってきまるかがあきらかにされ、ついでこの節の終りの部分で、労働力という商品の価格すなわち賃金が、同じ価値法則にもとづいて、労働力の生産費すなわち労働者の生存費と繁殖費によってきまることが説かれる。


第三節では、資本が分析される。資本とはなにか。資本はたんなるカネでもないし物でもない。


われわれの家計のカネや家財道具は資本とは言えない。資本とは、時にはカネ、時には物(機械とか原料とか)と、さまざまに形をかえながらも、全体として、賃労働者を搾取することによって自己増殖する価値のことだ。


したがってそれは、資本家と労働者のあいだの社会的生産関係、

階級関係をあらわしている。ここで、第二節で述べられた労働力と労働、価値という概念にとづいて、資本がいかにして剰余価値を獲得するかが説明される。


この意味で、ここはこの本の中心である。マルクスはまだ剰余価値ということばをもちいていないが、ここの内容はまさに剰余価値の源泉を平易に説いたものである。p84、1行目


2021年6月30日水曜日

最低賃金米国15ドルに引き上げ、日本は?政府案1000円、組合案1500円かな

 最低賃金米国15ドルに引き上げ、日本は?政府案1000円、組合案1500円かな


 今、日本で最低賃金をいくらにするかと言う、審議会が始まりました。政府と資本側・企業側と労働者側が話し合って決めることになるようです。この身に海そのものが、資本の召使のような人たちの会合になっているので、制度としてはあるのですが、期待するのは大きな間違いだそうです。

 最低賃金は政府は、1000円が目標としているようです。これまで構造改革20年の中で、低賃金労働者・非正規労働者を大量に作り出したため、賃金は上がるどころか、下げ止まっているという感じになっています。

 労働者間の、競走馬まだまだ激しくなりそうで、団結して 、資本と戦うなどということは考えられない状況です。 


米ロサンゼルス市など、小規模企業の最低賃金を時給15ドルへ引き上げ

(米国)

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ロサンゼルス発

2021年06月29日

米国カリフォルニア州ロサンゼルス郡のロサンゼルス市やサンタモニカ市、パサデナ市などの自治体は、従業員25人以下の小規模企業の最低賃金(時給)を現行の14.25ドルから、7月1日以降15.00ドルへ引き上げる。これらの自治体は従業員数26人以上の企業の最低賃金については、2020年7月1日から15.00ドルに引き上げていた(2020年7月8日記事参照)。今回の改定により、ロサンゼルス郡の多くの自治体が企業規模にかかわらず15.00ドルに引き上げることになる。

カリフォルニア州の最低賃金は、2017年1月時点で従業員数26人以上の企業は10.50ドル、25人以下は10.00ドルとしていたが、2021年1月時点で従業員数26人以上の企業は14.00ドル、25人以下では13.00ドルに引き上げた。今後、従業員数26人以上の企業は2022年1月に、25人以下の企業は2023年1月に15.00ドルへとさらに段階的に引き上げられる予定だ。

バイデン政権は2021年4月に、連邦政府と契約する業者の従業員の最低賃金を10.95ドルから15.00ドルに引き上げる大統領令に署名しており、各連邦政府機関は2022年3月30日までに新規の契約内で15.00ドルの最低賃金を実施しなければならない(2021年4月30日記事参照)。

(サチエ・ヴァメーレン)

(米国)

ビジネス短信 99a4cbc929bb8e0c




82ページから

 エンゲルスの修正以前の『賃労働と資本』でも、事実上はこの区別がはっきりしており、それ にもとづいて賃金や剰余価値の説明がおこなわれている。しかしこの点がほんとうに理論的にはっきりするのは、『資木論』第一巻(一八六七年発行)である。

 『賃労働と資本』を書いた当時 のマルクスは、まだマルクス主義経済学を完成していなかった。したがってエンゲルスは、後年 のマルクスの正確た概念規定にもとづいて、『賃労働と資本』の用語や表現をいっそう科学的な  形になおしたのである。 


以上のととについては、この本のはじめのェンゲルスの序文で、くわしく、しかも平易に説明されている。本文でも一節から一=節にかけて説かれているが、読者がまずこの序文をよく読んでおかれることを希望する。そして、「労働力」と「労働」の区別が、たんなることばの問題でな く深刻な階級的意味をもっていることを、しっかりつかんでいただきたい。 

  さらにすすんだ読者は、『賃金、価格、利潤』の第七ー一〇節、『ソ同盟・経済学教科書』第七章「資本と剰余価 。資本主義の基本的経済法則」、『資本論』第一 巻第二篇第四章第」三節 「労働力の購買と販売」、 

同第一=篇第五章「労働過程と価値増殖過程」などを研究されるといいと思う。 



つぎに本文の主な内容にふれておこう。 第一節では、賃金とはなにか、が論じられ、それが資本家が買いとる労働力という商品の価格 であることがあきらかにされる。そのほか、三二ー三ページにかけて、奴隷と農奴と賃労働者と のちがいをしめし、賃労働の歴史性を説いた有名な一節がある。また、三〇ーニページには、賃 労働者が人間らしい生活をうばわれているありさまが説明されている。マルクス経済学の根底に ながれている激しいヒューマニズムの精神に注目すべきであろう。

  第二節では、まず商品生産の経済法則である価値法則と、との価値法則が競争と生産の無政府 性をとおLて実現される様子が簡潔に説明される。『資本論』で言えば、第一巻第一篇第一章第 一、二節で説かれている労働価値論の部分にあたる。これによって一般に商品の価値と価格がな にによってきまるかがあきらかにされ、ついでこの節の終りの部分で、労働力という商品の価格 すなわち賃金が、同じ価値法則にもとづいて、労働力の生産費すなわち労働者の生存費と繁殖費 によってきまることが説かれる。

  第三節では、資木が分析される。資本とはなにか。資本はたんなるカネでもないし物でもない。 われわれの家計のカネや家財道具は資本とは言えない。

 資本とは、時にはカネ、時には物(機械 とか原料とか)と、さまぎまに形をかえながらも、全体として、賃労働者を搾取することによっ 説て自己増殖する価値のことだ。したがってそれは、資本家と労働者Qあいだの社会的生産関係、 解階級関係をあらわしている。

 ここで、 第二節で述べられた労働力と労働、価値という概念にもと づいて、資本がいかにして剰余価値を獲得するかが説明される。との意味で、ここはこの本の中 船心である。マルクスはまだ剰余価値ということばをもちいていないが、ここの内容はまさに剰余価値

          84ページ1行目



の源泉を平易に説いたものである。本節ではさらに、四四十六ページに、生産力と生産関係

についての古典的な説明があり、また最後の五一―二ページでは、資本家と労働者との利害の同

一という、御用学者の俗論が批判されている。「資本家あっての労働者」、「会社あっての組合」というこうした論は、いまでもわれわれのまわりに流布されていることに注意したい。


 第四節では、すすんで資本家と労働者との利害がまっこうから対立することを論証している。

これは前節の剰余価値法則から出てくるもっとも重要な結論である。ここでマルクスは、名目賃

金と実質賃金の区別をあきらかにし、さらに資本主義が発展するにつれて労働者階級の資本家階

級にたいする相対的地位がしだいに悪化することをしめしている。

 これは、いわゆる労働者階級の相対的貧困化の法則である。五三ページにある小さい家と邸宅の例も、よく引用される部分である。


第五節では、資本主義の発展、すなわち資本の蓄積が賃金水準におよぼす作用を分析している。

すでに前節で、資本蓄積の増大は労働者にとっては相対賃金の低下(相対的貧困化)と資本の支

配の増大であることがあきらかにされた。ここではさらにその説明が発展させられる。


すなわち、資本蓄積が増大すれば、分業と機械の使用がひろがり、それがまた労働者のあいだの競争をはげしくして、彼らの貨金をますます切りさげ、また他方、大量の労働者から職をうばって産業予備軍(失業者群)をつくりだす反面、婦人や子どもを家庭から工場にひきずりだす。

 

 さらに血で血をあらう資本間の競争は、たえず弱小の企業家たちを没落させて、労働者軍を拡大し、こうして社会全体を少数の大資本家と多数のプレタリアートに二分してゆく。以上が、マルクスのしめす賃金運動の法則、労働者階級の絶対的貧困化の法則、資本主義下の労働者階級の運命である。


 ますます頻繁に、ますますはげしくなる恐慌はこの過程をはやめ、破局を近づける。『資本論』第一巻第三篇第八章、第四篇、さらにとくに第七篇第二三章の「資本主義的蓄積の一般法則」は、以上の点をくわしく述べたものといってよい。


『貨労働と資本』は、ここでおわっている。この本のはじめのところ(二六べージ)では、マ

ルクスは三つの項目をあげてこの本のプランとしているが、実際に書かれたのは、そのうち第一

の項目だけで、第二、第三は書かれずにおわった。この事情はエンゲルスの序文の冒頭にくわし

い。マルクスが第二、第三でなにを書くつもりであったかは、いろいろな推測はできるけれども、

はっきりしない。ただ、このように『賃労働と資本』ははじめのプランからすれば未完におわっ

てはいるが、しかし現在のままの形でも、経済学のもっとも基本的な原理は十分に説明されてお

り、これだけで独立のパンフレットとしてまとまっていると言ってよい。

『賃労働と資本』を読んだ人は、それをさらに発展させる意味で、できるだけすすんでつぎの

諸文献を併読していただきたい。 (1) マルクス = エンゲルス『共産党宣言』、(二) マルクス

『賃金、価格、利潤』、(三) エンゲルス『空想から科学へ』、(四) エンゲルス『資本論綱要』

さらに進んだ読者は、(五)マルクス「経済学批判』(以上は全て本文庫に入っている)。

(六)ソ同盟科学院経済研究所『経済学教科書』(新日本出版社)第2篇を読まれるとよく、もっと進んでは、(七)マルクス『資本論』と取り組んで欲しいと思う。

  

  1956年4月          国民文庫編集委員会 


「賃労働と資本」の解説については今回で終了しました。

次回から エンゲルスの序論から、始めたいと思います。 





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